【世界移行期】(19)第2部 遥かなる天安門(7)冷戦後20年の失望と希望(産経新聞)
今、気になっていることは「「コミュニタリアン」と「コミュニスト」」ですがこんなニュースがあります。

中国はソ連・東欧を見舞った民主化の流れを拒み、経済至上主義を武器に天安門事件後、そして冷戦後の20年を乗り切った。
「世界の大国」への足場を固めたかにもみえる。
中国共産党が「一党独裁」を放棄し、複数政党制や三権分立の導入といった民主化に踏み込む日は、本当に訪れるのだろうか。
反体制天文物理学者の方励之博士は、この疑問に対し、皮肉交じりにひとつの数式を示す。
(1913?1629)?(1989?1919)=214
1913年は、成立間もない中華民国で太陽暦(グレゴリオ暦)への移行が完成した年。
1629年は、この暦法が明代中国に伝来した年だ。
89年はむろん天安門事件。
19年は近代中国で民主化要求の先駆となった「五四運動」を指す。
暦法には「世界の普遍的真理」の意味が込められている。
数式が表すのは、中国が普遍的な暦法(真理)に接してから実行までに要した長い時間と、民主が初めて叫ばれてから「血の弾圧」を受けるまでの時間の対比である。
天安門事件の年から起算すると、214年後は2203年。
23世紀に入れば、中国もやっと民主国家になれるだろうというわけだ。
◇
同じく天安門事件にかかわって故国を追われた社会科学者の厳家其氏は旧ソ連・東欧と比較し、「中国の民主化は1世紀遅れた」とみる。
同時に「民主化は時間の問題。
われわれは希望を抱いている」ともいう。
中国民主化に至る展望は方氏と厳氏では異なるが、長い歳月をなお要するとの点では一致している。
その長い歳月の中で、天安門事件はどう位置づけられるのか。
厳氏は、89年4月に始まった民主化運動と6月4日の戒厳部隊による弾圧は厳密に区別すべきだという。
そして、後者こそが中国の国内問題ではなく、世界を動かした巨大な歯車だったと指摘する。
「天安門事件の虐殺がなければ、その半年後に冷戦崩壊が起きることもなかった。
ハンガリー動乱(56年)では兵士が発砲をためらわなかったのに、東ドイツの兵士はベルリンの壁に押し寄せる人々に向けて引き金を引けなかったではないか。
天安門事件の光景が兵士にそうさせたのだ」
中国の共産党独裁を死守するための暴挙が逆に世界の共産主義陣営を葬り去った。
逆説的な言い方だが、厳氏は「トウ小平は大虐殺と同時に、世界の流れである非共産化を引き起こした」として、中国指導者の意図せざる"功績"を認めている。
◇
天安門事件後、一時的に遠のいた外国資本の対中投資は、最高実力者のトウ小平氏が経済改革の加速に向け大号令をかけた92年の「南巡講話」を境に活気を取り戻した。
中国経済の高度成長は以後、今日まで続く。
方氏は事件前の89年1月に執筆した政論「中国の失望と希望」で、「中国に適合するのは政治の専制と経済の自由」というトウ小平理論の本質を早くも見抜いていた。
仮説は実証されたかに見える。
表題の「失望」はまさにこの点を指していた。
では、「希望」は何か。
論文は、中国国民が当局への「盲信的希望」を捨て、「民主化の流れがすでに形成されている」ことを挙げている。
天安門事件の弾圧でその流れは大きな挫折を経験することになったが、方氏はいまも「総体的に中国社会は前に進んでおり、世界が中国に与える影響は強まっている」と希望を捨てていない。
中国の文豪、魯迅の短編小説「明日」は、深い農村の闇夜について、「かの暗夜が、明日になり変わろうとして、この静寂の中をなおも狂奔している」と描写した。
民主化の光は遠く、活動家たちの奔走がむなしく見えたとしても、闇夜は確実に朝を迎えるはずだ。
=第2部おわり
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第2部は山本秀也、宮田一雄が担当しました。
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最終更新:6月2日8時38分